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ピーはヒカリモノが嫌い [タイ・ノスタルジィ90年代]

受験まであと2日。
ここまできたら、母(ワタクシ)に出来るのは、神頼み。

タイ生まれのシュートには、プラクルアン(พระเครื่อง)というタイのお守りがあります。

           taiomamori_0339_edited-1.jpg

ペンダントトップは、長さ1.5㎝、仏様が収められてる18金製。
これを買ったのは彼が生後5カ月の頃で、ちょっとしたエピソードがあるのです。

本帰国を控え、タイのお正月休みはゴールデントライアングル(黄金の三角地帯)に決定。
タイ、ミャンマー、ラオスに接するメコン川流域、チェンマイ、高地の少数山岳民族地帯、
また国境の橋を渡ってミャンマーに片足を突っ込んでこようという、
赤ちゃん連れにはかなり強行軍なフリープラン。

ところがタイ人の大半が、そんな地域に赤ちゃんを連れていくものではないと反対するのです。
タイ語で「ピー(ผี)」は、精霊、幽霊のこと。
魔の三角地帯、特に山岳民族の村に行った赤ん坊は、
ピー(悪霊)にとり憑かれ恐ろしいことになるとか。
・・・でも、現地に住んでる子供は大丈夫な訳?
するとタイに長く住む日本人から、10年ほど前に止めたにもかかわらず行った駐在員のお子さんが、
原因不明の症状で緊急帰国した・・・という、超リアルな話が飛び出しました。
(その症状はとてもここでは記せず、“とり憑かれた”というイメージ通りのもの。)

さあ、どうしよう、
帰国した後では行くチャンスがなさそうだし、とても興味深いところ。
でも、笑って無視するには、あまりに怖すぎる。
そんな時にgood adviceをくれたのが、博識なタイの知り合いでした。

「ピーは、光りモノが嫌いだから、金色のものを身につけて行けば大丈夫。」

ホンマかいな? 
言われた通りデパート・スーパーのベビー服を見てみると、
確かに、全て小さな金色の安全ピンで値札が付けられ、
大きい子供の洋服は普通のシルバーのものになっていました。
この言い伝えは伝統的なものかも。
(今はプラスチック製に代わってしまって残念です。)

・・・という訳で、冒頭の「プラクルアン」購入に至る訳です。

当時はバンコク市内に“金行”(純金の金製品を売り買いする店)が沢山あり、
シュートが大きくなっても、日本で違和感なく身につけられるサイズ、デザインを探し求めて、
必死の思いで走り回りました。
24金はどぎつい黄色だし、自然な色の18金は数少ない、サイズは大きいものばかり、
出発日は迫っている、値段は吹っかけてくる、もちろん値切りも!
このプラに出会った時は、これだ!と神様(あ、仏さまですね・・)に感謝でした。

これで安心と出発した旅は、特に少数山岳民族の地域へは舗装なきデコボコ道を
エアコン無しオンボロ車で登る、エンスト恐怖のルート。
お尻が痛くなるほどの振動(きゃあ~、赤ちゃんの脳が!)と、
ものすごい土煙(息ができない~、赤ちゃんの肺が!)で
これじゃ病気にもなりそうだわと焦りながら、子供好きのタイの皆さんに親切にされて
楽しんで帰ってきました。もちろん現地の料理も堪能♪
現在はすっかり観光地化されているようなので、あの頃行って本当によかった。

今思うに、原因不明の症状は抵抗力の弱い赤ん坊が田舎の土壌菌に感染して起こるものでは?
それで、こんな言い伝えが残っているのかもしれません。

それからは、シュートが飛行機に乗る時や長期の旅行には必ず身につけて大切にしてきたお守り。
受験は、彼の12年の人生の中で最大の勝負!
(ま、この世に生まれてきたことが一番の勝ち戦さですけどね)
とにかく、プラクルアンのご利益にすがりたいところです。

頼むぜ、プラクルアン!


                  *  *  *  *  *  *  *


おまけで、ペンダントつながりの話題。

       taiomamori_0340_edited-1.jpg

       タイで買った銀製のペンダントトップ。
       一番下は、タイ語の「7(๗)」(シュートも私も7月生まれ)、
       その上は、名前の頭文字「S(ส)」「N(น)」、
       象さんは私のお気に入りです♪
       お土産にも最適ですよ~。


              


              
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アヒルといえば・・・ [タイ・ノスタルジィ90年代]

12月の料理教室で鴨肉を使う予定だった為、家族に「またこれ~?」と言われるくらい
調子に乗って、この冬は和洋中の鴨料理を作っている。
タイ料理では、定番の「ゲーンペッペットヤーン」(ローストダックのレッドカレー)、
和食はしょうゆのだしタレでさっと湯蒸ししたり、甘酸っぱい赤ワインソースでフレンチ風に。


アヒルと言えば、タイ人がよく使うジョークがある。

「女がアヒルを飼い始めたら気を付けて。」

浮気をした夫が寝ている間に、怒った妻がアソコをちょんぎって庭に放り投げ、
アヒルに食べさせてしまった、という事件がよくあるのだ。
 (本当です!タイ語新聞を読む会で勉強していた頃、何度か読みましたから。
  ゴシップ新聞は文法がおかしいので良くないと先生には言われていたけど、
  なにせネタが面白く単語も平易なので読みやすい。)
アヒルは胃の消化が速く、慌てて取り出しても手術が出来ないほどに溶けてしまうそうである。

もうひとつおまけに、風船にくくりつけて空に飛ばしてしまった、という話もよく聞く。
 (本当です!これも読みましたから。)
私がタイから帰国した後も(11年になります)、この手の事件は発生していて、
昔から女性定番の報復手段?


あの可愛いアヒルちゃんが・・・・。
食べる気が失せたという人がいたらゴメンナサイ。
でもタイの北京ダックはとてもリーズナブルなので、おススメ。
タイスキのコカの、ダックの醤油煮込み、これもとっても美味しいですよ~♪


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タイで皆既日食 in ’95 [タイ・ノスタルジィ90年代]

タイで皆既日食を見たことがある。
ネット検索して1995年10月24日だったと判明~☆

埃をかぶった箱から当時の手帳や写真を引っ張り出した。

24日深夜0時取材クルーの車に同乗してバンコクを出発、ナコンサワンに向かっている。
うん、だんだん思い出してきた!
100バーツもする日食紙メガネを購入と記してある。
断片的で怪しげな記憶をつなげてみると・・・・。

季節は雨期の最期、
両脇の田が水浸しで、まるで川に浮かぶ一本道を車で走っているようだった。

昼前に、ある学校の運動場に到着。
タイ・外国メディアがすでに中継カメラを据え付け、私のように遠方から来た大勢の人々が集まり、
まるでお祭り騒ぎのようだった。ビーチにいるかのような格好の外国人の姿も多い。
暑くて木陰でぼんやり休んでいたら、さわさわとおかしな風が吹いてきて、あら?と思うまもなく
うお~っと拍手と歓声があがった。日食ショーの始まり。

太陽が徐々に欠けていき・・・・、木の葉の影が三日月形?に変化していく。
皆が地面の影を不思議そうに指さす。
ぽかんと口をあけて空を見入っている子供もいる。
そしてクライマックス。
す~っとあたりが薄暗くなっていくのだが、その暗さは夜そのものとは違い、
まるで昼間のシーンを夜に見せかける為に映像にフィルターをかけた感じ。
そして皆の感嘆の声? 地の底からうなるような音が聞こえる。風の動きが変わったような・・・。
ダイヤモンドリングが光り、コロナが見え、一気に歓声が上がった。
空のリングにくすり指をかざしてみたのをよく覚えている。

長~い地球の歴史の中で、人間の欲望や私の存在など塵のようなもの。
悩みなんて小さい、小さい。
いにしえの人たちは、太陽神の意思を信じ脅威に感じたに違いない。
日食の原理に気付いた古代の知恵者は、これをうまく利用して権力を得たのだろうね。
現代の私も、太陽にひれ伏してしまいたいような圧倒的な力を感じる。
・・・・とまあ、暑い中妄想が入り乱れたような・・・。

よほど気を奪われていたのか、
残っていたのは、暗闇にぽっと光が灯るボケボケの写真一枚のみでした!

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タイの茶色いバナナケーキ [タイ・ノスタルジィ90年代]

美味しいと評判のウエスティンホテル東京のバナナブレッド。 
プロの料理人も買いにくるほどだそう。
ブラウンシュガーを使ったような茶色い生地、
サラダ油だけを使い、材料の25%を占めるというバナナの風味がとてもいい。
軽い甘さなので、朝食にぴったり。
一本800円なり。

            DSC00586_edited-1.jpg

外見がそっくりの、タイで好きだったバナナケーキを思い出した。

スクムビット通りの欧米人を対象にしたヴィラスーパーは、
当時はちょっとシャレた食材が買えるところ。
よく買っていたのが、ここのバナナケーキ。

切り口はバナナの黒い繊維がぎっしり見えて、
写真よりももっと濃い茶色のパウンド型、
じゅわ~っと甘みが染み出て、バナナの風味たっぷりのどっしりした焼き菓子だった。
発泡トレーにのせてラップをかけシールが貼ってあるだけのチープさ。
なので当然激安のお値段!
でも、他所と食べ比べても、ここのがダントツに美味しかったのだ。
どこのメーカーかしらと裏のシールを見たら個人名が書いてあったのを覚えている。

帰国してもう10年あまり。
数年前にヴィラスーパーで発見した。おお、昔と同じトレー包装。
わくわくして日本に持ち帰ったけれど、普通の味になってしまっていた。
あの頃の味じゃない・・・。

日本の生活に慣れて、私の舌のほうが変わってしまった?
味の記憶が、タイ生活の思い出とともに美化されたか?
いや、作り手が変わった!・・・と思うんだけどなぁ~。

90年代のヴィラのバナナケーキ、食べたことあるかたいらっしゃいますか?




 


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空から降ってきた魚 [タイ・ノスタルジィ90年代]

ここ数日耳にする、オタマジャクシや小魚が空から降ってくるという不思議なニュース。
これに関して我が家の食卓の話題・・・。

「そういえば、タイでゴルフしてた時も、魚が降ってきたよね~。」

そうなんです!
雨期のゴルフはスコールがお約束なのですが、
濡れるまま続行するか、あずまやで雨雲が通り過ぎるのを待つか。
その日はカオトムマット(バナナちまき)を食べながら雨をやり過ごし、さあプレイ再開!と歩き始めると、
・・・・あれ?魚が芝生の上で飛び跳ねてる~!!
それも十数匹という数なのです。
近くのタイ人に聞いても笑いながら首をかしげるばかり。
タイのゴルフ場は池が多く(涙の池ポチャが多い!)、
池の魚が豪雨を滝と勘違いし飛び跳ねたのかしら、と無理やり納得したのですが。
・・・・池は遥かかなたの場所、とても跳ねてきたとは思えないのだけど~。

そんなことを思い出しました。
日本の珍現象の解明を待つばかりです!

タイのゴルフ場は、1メートルくらいの大トカゲが歩いてたり、
プレイ以外でも楽しめます~☆
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昔から、バナナ頼み [タイ・ノスタルジィ90年代]

タイ生まれの息子は、バナナで育ったようなものである。

外出先の離乳食は、いつもバナナ。
スプーンで薄くすくい取り、「あ~ん」とお口に押し込むと喜んで食べてくれた。

なんたって暑い国、ヘタに手作り離乳食を持参して腐ったら・・・、
こーんなに便利な食べ物ってないわ!
という気持ちが私を支えていた。
(バッグにバナナ一本放り込み、あとはスプーン持参のみというお気軽な現実。)
でも、幼少のムスコは、長く恐ろしいほどの肥満顔であり、
同じ月齢の友人はすっきり顔であり・・・。
もしかして、バナナの糖分(・・・私の不精)のせい?
後ろめたい気持ちも、正直ございました~。

1歳で帰国し、11歳になったムスコは、今はすっきり顔の男の子。
(今でもバナナ好きです♪)

さて、私がタイでバナナの美味しさに目覚めたのは、
「クルアイ ホーム」というバナナに出会ってから。

タイ語で、「クルアイ」→バナナ、 「ホーム」→芳香
その名のとおり、口に広がる香りがすごく良いのだ。
日本で食べてたのは何?っていうくらい!
バナナなんてタイなら腐るほどあろうものなのに、
不思議と、当時市場で求めると売り切れのことがよくあった。
モンキーバナナはいつもあったのだが。

今でもバナナは、常に台所にぶら下がっている。
朝時間がない時、小腹がすいた時に、皆の手がのびる。
実に頼りがいのあるヤツだ。
         
        DSC00046z.jpg
    
ついでに、庭にバナナの木がある、というのが憧れ。

タイの一軒家に住む友人は、
「バナナの木って弱いから、この間の嵐で倒れて小屋の屋根をぶっ潰し散々だったよ。」
  
「欲しいときには、メイドに頼んで庭から採ってくるから買うことないわね。」

「勝手に脇から芽が出てくるのよね。」
  
ああ、身悶えするくらい羨ましい!
そんな話を聞くたびに、
バナナへの愛は膨らむばかりなのだ。



    



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タイのインスタントラーメン [タイ・ノスタルジィ90年代]

タイでインスタントラーメンの値上げが発表された。
1997年の経済危機以来10年ぶりの値上げだそうだ。
ラーメンといえば日本人には『ママー』ブランドが有名かも知れない。
“ヤム・ママー”、“パッ・ママー”という、ブランド名がつけられた料理もある。
現地では安いし、土産用に大袋で買ったことのある人は多いだろう。

5バーツのものが1バーツ(日本円で3.3円)値上げになるらしい。
10年も値上げ無しだったのか・・・。
97年当時の混乱が思い出される。
連日マスコミで大々的に報道され、抗議運動が起こり、低所得者層が
買占めに走り、あっという間にスーパーからラーメンが消えた。
でも外国人にとってわずかな値上げの深刻さは、正直実感出来なかった。

ある日、用事でメイドさんの部屋を開けると、彼女はラーメンを食べているところだった。
4畳ほどの部屋で煮炊きしてること自体驚きだったが(換気面で)、
壁にはラーメンの袋が山積みだった。
毎日食べているという。「栄養偏るから気をつけてね。」というと、
「節約してるから。野菜を煮込んでいるからマイペンライ。」
タイ人は屋台でテイクアウトし家では作らないことが多いので、彼女もそうだとばかり
思っていた。当時3バーツくらいだったラーメンなら確かにかなりの節約になる。
彼女は、離婚して住み込みで働きながら一人息子に送金していることは聞いていた。
ちょっと気をつけてあげればよかったなと、それ以来時々彼女にタイ料理を作ってもらう
ことにした。少し多めに作り、持って行けと。
ところが、これが私にも吉と出た。
彼女は親戚のレストランで働いていたそうで、料理学校で習わないような家庭料理も
沢山作ってくれた。
私はラッキー♪と台所にはりついてレシピを毎回書き留めた。
タイ語の先生とは違う言い回しも知った。
私が帰国した後、働きやすいように日本料理も時々教えた。(あまり興味なさそうだったけど~!)。
何より彼女との距離がぐっと縮まった。

ラーメン値上げと聞いて浮かんだ、懐かしい思い出です。




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